しばらく時が経って6日目、マドの治療のかいがあって、なんと四つん這いで移動できるようになった。
これなら明日には立てるかもしれない。ルツはちらりと、アロンが用を足すのに使っている小部屋を見た。目標をもつことは大事だと、子供のころに言われたような気がする。今まで意識してこなかったが、このようなことを言うのだろうかと考える。
「早く魔物になりたいものだ」
「どうしてそんなに、魔物になりたいんだ?」
その日の治療の終わり、マドがぽつりと呟いた一言に、ルツは顔を上げて尋ねた。声に出している自覚がなかったらしく、マドは少しぽかんとして、「口に出とったか?」と首をかしげる。
「魔物どもとこうやって暮らすようになって、つくづく思い知らされる…。
人間のなんと非力なことよ」
何か嫌がらせでもされたのかと思ったら、後半の言葉に「そっちか」と心の内で突っ込んだ。
「丈夫で、しかも長生きだ。多少無理な魔術を使っても平気だしな」
マドが言うには「多少無理な魔術」を人の身で使うと、体のほうが衝撃に耐えられないらしい。
「でも、どうやって魔物になるんだ?一緒に暮らしていればなれるのか?」
「そんなわけなかろう。
…そうだな。乗っ取るのが一番楽だと思う」
想像が追い付かなくてルツは黙る。しかしマドはひとりぶつぶつと「魔物の村にいれば、すぐにでも乗っ取ろれるだろうと思っていたが、なかなか丁度いい魔物に出会えないものだ」と頭の中でここの魔物たちを思い出しているらしい。
「さすがに嫌がる相手にはできないからな。抵抗されると上手く融合できないと聞いている。
それに何度もすると、こちらの魂が弱るから、相手選びは慎重にしないとな」
「そんな都合のいい魔物がいるのか?」
訝しげなルツを見下ろして、マドはふふん、と不敵に笑った。
「何も起こらないなら、起こせばいいしな。
手ごろなやつが深手を負えば、後はどうにでもなる」
上手く言いくるめて乗っ取ろうという算段なのだろう。怖い計画を事も無げにいうマドは魔物にも負けないような悪そうな笑みを浮かべた。
「それにわしが厄介になっている魔物はな」
「おい、マドいるか?」
「!!」
突然の来訪者に、ルツはギクリと体を硬直させた。今はアロンはでかけていて、不在なのだ。
一方のマドは、けろりとしていて、せっかくアロンが死角にルツを寝かせているのに「ここだ」と返事をしてしまう。
ヒヤヒヤするルツをよそに、相手はズカズカ上がり込んできて、マドとこわごわ見上げるルツのそばまで来た。
「・・・」
一見、アロンと比較すると細身な魔物は、しかし目は鋭く、知性と冷徹さを感じさせた。彼がマドのいう「厄介になっている魔物」なのだろうか?つまりは、以前アロンが言っていた「ここの村の三番手」ということになる。
魔物は、ルツを見るには見たが、興味がないようで、すぐにマドに向きなおった。
「来い。面白いことになりそうだぞ」
「怪我人が出そうか?」
「場合によってはな」
物騒な会話に、マドは嬉し気に立ち上がった。口を挟めないまま、二人が立ち去ろうとするのを、ぼんやりと見送る。
しかし漏れ聞こえた会話に、思わず頭をあげた。
「何があった?」
「人間が近くをうろついているらしい。
アロンは相手が武装してるかどうかで違ってくるって言ってたけど…」
「アロンはどこに・・・」
後の会話は、もう家の外に出てしまって聞こえなかったが、ルツは心臓が早く脈打つのを感じていた。
「人が…来ている…?」
武装ということは、魔物退治の一行かもしれないということだ。一行の中にはもしかしたらアロンが熱望する金の目を持つ者がいるかもしれない。
帰りが遅かったのはそのせいなのだろうか。
ルツは、じりじりと床を這って、壁に耳を当ててみた。