いつもなら、耳を当てなくても、人の村と同じように日常生活らしい音が漏れて聞こえるのに、今はほとんど音が聞こえない。
遠ざかって聞こえる足音は、さっきの魔物とのマドの足音だろう。
他の魔物たちも例の人間の方へ行っているのだろうか。
外で何が起こっているのか知りたい。
人間が来ているという事実に、だんだんとルツはじっとしていられなくなった。 人間が近くにいるのかどうかわからないが、うまく落ち会えれば救出してくれるのではないかと、まったく現実味のない妄想がルツの頭を支配していく。
あの、思ったより紳士的な魔物と、これ以上一緒にいるのは、自分が情けない生き物のような気がしてしまうのだ。
逃げたいという気持ちがどんどん膨らんでくる。 小さな可能性でも、今ならそれができるかもしれない。
その可能性がとんでもなく低いとわかっていても、正常な判断が出来なくなりつつあるルツはそっと腕に力をこめてみた。
今日の治療が終わったばかりだからか、体が軽い気がする。
まだ腰に力が入らないので、立ち上がることこそできなかったが、これなら四つん這いで移動することはできるようだ。
のそのそとアローンの家を這い、外へつながる扉を開けてみる。
他の魔物が住んでいるであろう、小屋のような建物が数件見えたが、誰かいる気配はやはりない。
逃げ出そうとしている興奮と久しぶりに自力で動けた興奮が重なって、ルツはとうとう外に出ていってしまった。
村の真ん中を堂々と移動するのは、沸きたったルツの頭でも、さすがに危険だということは わかったので、村の外側を人目につかないように身を隠した。
そしてマドたちが向かったと思われる方向に、そろそろと進んでいく。
しかしアロンの家から何件か離れたあたりで、案の定だんだん背中が痛くなり始めた。昨日まで寝たきりだったのだ。やはり無謀だったと今更後悔しても、ここまで来てしまったからにはとにかく人間が通る道までどうにかたどり着きたい。
時々休憩しながら進んでいくと、どのくらいそうしていただろうか、家がまばらになってきた。
魔物たちが道として使っているらしい踏みしめられた砂利道ではなくその横の茂みに紛れる。
この道沿いにいけば、いつかは人が使っている道にぶつかるかもしれない。しかし木々に紛れるということは、その分、障害物も多いので病み上がりの身には簡単なことではなかった。 そうしてもたもたとしているうちに、向こうからガヤガヤと声がし始める。
人間の様子を見に行っていた魔物たちが帰ってきてしまったようだ。声の様子では人間が捕まっている様子もないなければ、一戦交えてきた様子もない。おそらく魔物退治の一行ではなかったのだろう。
「一人でも捕まえられてればなぁ。人間とヤリたかったなぁ」
「やめとけ。アロンがこの村を人間に嗅ぎつかれるのは嫌だっていつも言ってるだろ」
「アロンのやつ、二度とこの辺りに来ないようにって、まだ追っかけまわしてたからな。」
以前アロンが説明していたように、やはり多くの魔物は繁殖目的で人間を襲っているようだ。 ここで下手に動くのはまずいと思い、そっと息を潜める。 魔物たちの一行はその後も言いながら、村の方に向かっていった。
こちらに気付いている気配がないことに、ルツはホっと息を吐く。
その時だった。
「何してんだお前」
その声と同時に上に引き上げられる。えっと思う間もなく、猫のように軽々と襟首を持ち上げられて見えたのは、アロンよりも更に大きな魔物の姿だった。